12月7日(日)「12月の法話と瞑想の会2025 過去、記憶 〜私たちしばるもの」
英国アマラーワティー僧院のアチャン・ニャーナラトー師とオンラインでつながり、月例の「法話と瞑想の会」を開催します。
今回のテーマは「過去、記憶〜私たちをしばるもの」です。
師のメッセージをお読みのうえ質問やメッセージ、ご挨拶などありましたら、申し込み時のアンケートにお書きください。
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アチャン・ニャーナラトー師からのメッセージ
「過去、記憶 〜私たちしばるもの」
過去と記憶。
私たちが生きていく中で大きな場所を占める事がらといえます。
今年は残すところあと一ヶ月を切り、あるいは今までの生きてきた時間があります。
記憶は人間の基本的な機能で、私たちはいろんなことを記憶します。
過去の経験を記憶によって情報として役立て、応用したり反省したりして生活しています。
また、そこにいろんな感情が伴っていることも少なくありません。
なつかしい記憶。幸せや喜びの記憶。特別な場面や大切な出来事の記憶。思い起こすと元気が出てきたり、励まされたり、感謝の思いがあふれたり、という記憶があります。
一方で、辛い、きびしい内容。悲しみ、怒り、憤りに彩られた記憶。忘れてしまいたい記憶。後悔や清算したい過去の記憶。
さらには、混乱していたり、鮮明でない記憶もあります。
よく分からないけれど、繰り返し現れてくるような記憶もあるでしょう。
過去という時間、その記憶は、私たちの経験の中で「当たり前」な存在と言えます。
テーマの表題に「私たちをしばるもの」と加えましたが、過去にとらわれ、記憶から自由になりたいと思うことが少なくないのもまた事実でしょうか。
今を大切に生きたい、しかし過去の影、記憶の束縛があって、自由に生きられない。自由といっても、過去や記憶は変えられないもの、「必然」「既に決まっているもの」のように思えます。過去、記憶からの自由とは可能なのでしょうか。あるいはどういう意味なのでしょうか。
さらに、記憶は人間にとっての基本的な、あるいは必須の能力であるかもしれませんが、認知症において、時間や場所についての通常のような認知が難しくなり、記憶に関わる能力も崩れていくというきびしい現実があります。記憶と人間の関係という根源的な問いもそこにはあります。
「今、ここで」のなかで、過去、記憶とは何なのか。
学びの中で、瞑想の中で、過去、記憶をどう捉えるのか。
たいへん大きなテーマになってしまったようで、いろんな思い、ご経験、コメントが、皆さんの心の中に浮かんだかもしれません。
きびしいこと、困難なこと、大切なこと、ひょっとして答えのないことなどあるかもしれませんが、皆さんからの言葉をいただいて、一緒に学んでいけたらと願っています。
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日時
2025年12月7日(日)
15:30〜18:30 (途中休憩あり、最大延長19:00)
内容
法話、瞑想実践など
参加費 無料 ・アクセスに必要なURLは、申込み受付のメールでお伝えします。
【注意!】
・受付完了のメールが届いていない方は12、迷惑メールとして処理されていることが大変多いです。まずは、「迷惑メールフォルダ」などをご確認ください。
【重要】質問やメッセージを書かれる方へ、大切なお願い
・申し込み時の質問やメッセージを後から加筆修正したり、あらたに追加した方は、必ず事務局までご連絡ください。ご連絡がない場合は「こくちーず」のシステムの関係上、申し込み時の状態で師に伝わることがあります。
・参加の申込みは当日まで受付けていますが、質問(加筆修正も含む)はできれば開催日の3、4日前には記入されると、多忙な師が回答を吟味する時間が比較的持てます。質問をする方は、日にちに余裕を持って申込むことをお勧めします。
申込み、お問合わせ
当日の午前10時まで、申込みを受付けます
https://www.kokuchpro.com/event/f4da5ecb5a37024df41afb7a502698e2/
ニャーナラトー師「12月の法話と瞑想の会2025 過去、記憶 〜私たちしばるもの」 2025年12月7日 - こくちーずプロ
(受付担当 森竹)
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