11月2日(日)オンライン「11月の法話と瞑想の会2025 」
英国アマラーワティー僧院のアチャン・ニャーナラトー師とオンラインでつながり、月例の「法話と瞑想の会」を開催します。
今回のテーマは「僧院から学ぶ、私たちの生き方、あり方」です。
師のメッセージをお読みのうえ質問やメッセージ、ご挨拶などありましたら、申し込み時のアンケートにお書きください。
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アチャン・ニャーナラトー師からのメッセージ
「僧院から学ぶ、私たちの生き方、あり方」
「僧院ってどんなところだろう」とか「(テーラワーダの)僧侶の生活はどのようなものなのだろう」といった問いを持たれる方も少なくないと思います。
そこで今回はそのあたりをテーマにしてみたいと思いました。
純粋な興味からの疑問もいろいろあると思います。一般の方の生活では出会うことのない(あるいは少ない)世界のことですから。タイやスリランカでしたら、もっと普段の生活に近い存在ですし、イギリスでも僧院は存在するので、興味があれば訪問したり、経験したりできるものですが、日本の皆さんには、もう少し距離のある世界なのだろうかと想像します。
その上で、表題にもありますように、ただ、遠い存在、誰かどこかの特別な世界の話としてしまうだけでなく、「自分ごと」としてとらえる視点もあるといいのではと思っています。
僧院と言っても、タイとスリランカでも違いますし、学問をする寺、瞑想センターの寺もありますが、私が生活、修行してきたタイの森林派の僧院、その中でもアチャン・チャー師のグループの僧院、さらには2001年以来止住しているアマラーワティー僧院をもととしての話になるかと思います。
問いとして考えられそうなものを思いつくままに並べてみますと。
どんな生活、時間割で、何をして、どんなところに住んで、誰がいて、といったことがまずあるでしょう。
そして、特別な人だけのものなのか、出家者だけのものなのか、一般の人の滞在があるとしたらどういう形なのか、訪問する人はあるのか、なぜ人は来るのか、等々。
僧院の生活で経験すること、学ぶことと、一般の生活とは別物なのでしょうか。
なぜ、そもそも僧院は何のために、どういう意味があるのか、どう成り立っているのか(例えば、経済的に)、などの問いが続くかもしれません。
そもそも僧院や出家者が存在するのはなぜ?と考えてみたくなるかもしれません。
僧院とは、静寂の場所、信仰やきびしい修行の場所、あるいはリハビリの場所なのか、逃避のためなのか。
あるいは南アジアや東南アジアの文化の一つの特徴みたいなものと納得している人もいるかもしれません。
そして、何をそこに感じるか?こころ惹かれる人、不思議と思う人、なんとなく敬遠したい人、抵抗感や拒否感をもつ人。
皆さんが気にかけておられること、尋ねてみたいこと、思うところなど、ご自由にメッセージや質問をいただければと思います。
それらのお言葉を手がかりに、今回もアマラーワティー僧院からご挨拶、お話できることを楽しみにしています。
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日時
2025年11月2日(日)
15:30〜18:30 (途中休憩あり、最大延長19:00)
内容
法話、瞑想実践など
参加費
無料
・アクセスに必要なURLは、申込み受付のメールでお伝えします。
【注意!】
・お問い合わせの返信は10月28日以降になります
・受付完了のメールが届いていない方は、迷惑メールとして処理されていることが大変多いです。まずは、「迷惑メールフォルダ」などをご確認ください。
【重要】質問やメッセージを書かれる方へ、大切なお願い
・申し込み時の質問やメッセージを後から加筆修正したり、あらたに追加した方は、必ず事務局までご連絡ください。ご連絡がない場合は「こくちーず」のシステムの関係上、申し込み時の状態で師に伝わることがあります。
・参加の申込みは当日まで受付けていますが、質問(加筆修正も含む)はできれば開催日の3、4日前には記入されると、多忙な師が回答を吟味する時間が比較的持てます。質問をする方は、日にちに余裕を持って申込むことをお勧めします。
申込み、お問合わせ
当日の午前10時まで、申込みを受付けます。
お問い合わせの返信は28日以降になります。
https://www.kokuchpro.com/event/988cb7354c9ea26f6d409c9aa1dc84de/
ニャーナラトー師「11月の法話と瞑想の会2025 」 2025年11月2日 - こくちーずプロ
(受付担当 森竹)
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